季刊紙「Science School News 第2号」


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「サイエンススクールの第2弾、第3弾開催される」

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<質問コーナーでは難問も飛び出した大和郡山のサイエンススクール>
 「親子で学ぶサイエンススクール」の第2弾は梅雨もあけた去る7月25日、奈良県大和郡山市の(財)大和郡山市体育文化振興財団の主催で開催された。
 大和郡山市は金魚の生産量日本一で有名なところ。年間の生産量は8000万匹という。また、この町はもともと奈良の都の中心地であったところ。歴史的な建物も数えきれず、街並みもいにしえの都を彷彿とさせるものがある。会場の大和郡山市立文化センターの近鉄線をはさんだ向かいにも大和郡山城趾があった。
 当日は晴天に恵まれ、会場である大和郡山市立文化センターの音楽ホールには、約200人の親子が中村浩美先生の宇宙や火星の話しに耳を傾けた。
 大和郡山での「親子で学ぶサイエンススクール」の出演は中村浩美先生と司会の薄羽美江さん。二人の息もぴったり合い、会場の200インチの画面に映し出される宇宙からの映像と薄羽さんの進める数々の実験に会場をうめた親子は歓声を上げた。
 また今回は、中村先生から火星に関するお話しを多く聴くことが出来た。お話しは、火星探査機の着陸の様子や火星からの隕石の中の生物の痕跡など、資料映像を見ながら進められた。7月4日にアメリカの火星探査衛星「マーズ・パスファインダー」が火星に到着した直後のサイエンススクールだったため、子どもも大人も関心は火星に集まり、中村先生の火星の話しをみんな興味深く聴いた。
 実験も火星の最低気温を体験しようと、火星の最低気温より低温の液化窒素を使用した実験を行った。
 その他、ステンレスのボール(台所にある普通のステンレスボール)を二つあわせて中の気圧を下げて両方から引っ張る実験や、水を入れて熱した一斗感をつぶす実験を会場の子どもたちと行った。
 最後の質問コーナーでは、予定の時間を延長するほど子どもたちからたくさんの質問が飛び出した。その中には「ブラックホールに吸い込まれたらどこに行くのですか」「宇宙で一番熱い物は何ですか」などむずかしい質問もあった。
 大和郡山では、8月24日に1450人の参加者を集めて全国金魚すくい選手権大会が開かれる。この選手権大会の会場は、「親子で学ぶサイエンススクール」が開かれた大和郡山市立文化センターにほど近い三の丸会館(市中央公民館)である。

 <小さな博物館をわかせた外海(そとめ)町の子どもたち>
 大和郡山に続いて「親子で学ぶサイエンススクール」の第3弾が台風9号も通り過ぎ、夏の日差しに戻った8月2日に長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡外海(そとめ)町で開催された。
 外海町は長崎市の北側に隣接する自然豊かな人口約1万人の小さな町。しかし、町の歴史は古く、会場である子ども博物館の建つの出津(しづ)地区には、町の歴史的資料を展示する町立歴史民俗資料館やかつて(約100年前)この町の人たちを物心両面で支えたフランス人の宣教師マルコ・ド・ロ神父の資料が当時のまま保存されているド・ロ神父記念館など文化施設も多く建っている。この町には小説家遠藤周作氏の「沈黙」の舞台となった黒崎教会もあり、県道から子ども博物館に入る道沿いには、その「沈黙」の碑も建っていた。
 「親子で学ぶサイエンススクール」の当日、会場の外海町立子ども博物館のホールに集まったのは約50人の外海町の親子。今回は声優の山田ふしぎさんも実験のお姉さんとして飛び入り参加して、会場に集まった子どもたちと一緒に実験を行った。
 テレビのアニメーションの声で有名な山田さんは、実は実験の天才。中村先生の映像をまじえた宇宙や火星のお話し、そして山田さんの見事な実験とおしゃべりに参加者は時間の経つのを忘れた。サイエンススクールが終わったあとも、熱心な子どもたちと一緒にドライアイスを使ってアイスクリームを作ったり、フィルムケースのロケットを飛ばしたりと手作りの実験を楽しむ場面もあった。
 外海町の町立子ども博物館では、今回の「サイエンススクール」だけではなく、定期的に小さな実験教室が行われているという。

 歴史のまち大和郡山と、自然豊かな長崎県外海町の皆さん、ありがとうございました。出演者、スタッフ一同は、とても有意義(贅沢)な時間を過ごしたと感じました。

「火星(マルス)通信2」
 マーズ・パスファインダーの火星探査〜1
……中村浩美

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 NASAの火星探査機「マーズ・パスファインダー」は計画通りに、アメリカのインデペンデンス・デイ、7月4日に火星表面への着陸に成功した(日本時間では5日未明だった)。「バイキング」探査機以来、実に二十一年ぶりの火星表面到達となった。
 地球出発からおよそ8ヶ月の宇宙航海を終えたマーズ・パスファインダー(MPF)は、惑星間飛行軌道からダイレクトに火星大気圏に突入、パラシュートを開傘して減速し火星表面を目指した。着陸直前に緩衝用のエアバッグが膨らみ、何度か火星表面をバウンドしてショックをやわらげたのち、予定されたアレス峡谷に無事着陸を果たした。
 着陸完了とともに、MPFを覆っていたエアバッグが収縮し、ランダーが姿を現して、三角形の花びら上のソーラーパネルが開いた。これで水平姿勢が確保され、パネルの一部に装着されていたローバーも、無事な姿を見せた。このローバーは、人類が初めて火星に送り込んだ小型の火星表面探査車で、「ソゥジャーナー」と名付けられていた。全長65センチのマイクロ・ローバーで、6つの車輪で走行する。車輪を上下動させて、高さ20センチ程度の岩なら乗り越えて進むことができる。しかしエアバッグの収縮が充分でなく、そのソゥジャーナーがパネル上から表面へ移動する道筋を妨害していた。
 ランダーが、1億9500万キロの彼方から送信してきた、赤い大地の鮮明な画像に歓声を上げたのも束の間、このトラブルがMPFが直面した最初の難関となった。さらにソゥジャーナーとランダーとの無線送信が、不調となるトラブルも続いた。しかし翌日には、すべての障害がクリアされ、ソゥジャーナーはランダーのパネル上から、秒速1センチの超低速でゆっくりとタラップを進み、火星の表面に降りたつことに成功した。
 火星探査と宇宙生命探査に情熱を傾けた科学者を記念して、「カール・セーガン・ステーション」と命名されたMPFランダーのカメラは、赤い惑星のパノラマ画像を送信してきた。ソゥジャーナーは、周辺の岩石の観測と分析を開始した。最初の観測対象に選ばれたのは、NASA・JPLの科学者たちが「パーナクル・ビル」(フジツボ・ビル)と名付けた20センチほどの高さの、黒っぽい岩石だった。こうして火星表面の探査が、開始された。(つづく)

「宇宙から未来が見える、宇宙考古学とは…」
……坂田俊文

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坂田俊文 先生
東海大学情報技術センター所長
地球科学技術推進機構機構長
坂田俊文先生の専門は人工衛星からのリモートセンシングによる、地球環境観測データの画像解析。その坂田先生に、まず「宇宙考古学」との出会いからうかがった。


 <砂漠の中の文明と宇宙考古学>
 地球の環境観測のデータ解析をしていて、ある時、なぜ古代文明の跡が地球の赤道を取りまく中緯度帯に、特に今は人の住めない砂漠に集中しているのか不思議に思った。現在は砂漠でもかつては、ほんの数千年前には、人が住んでいた。このフシギを探究してみようとこの分野の研究を始めた。  「宇宙考古学」は坂田俊文先生のこんな疑問から始まった。
 文明の盛衰。人工衛星から観ると、それが実によくわかる。たとえば、インダス文明にしてもメソポタミア文明にしても、かつての川の痕跡や植物の分布が衛星からの画像を解析することによってわかってくる。かつての大きな文明が環境の変化で、水の供給が減少して、文明が衰退していったことが観えてくる。
 人工衛星から観ると言っても光学的なカメラで観ているだけではない。赤外線センサー、マイクロ波センサーなどのいろいろなセンサーのデータが人工衛星から送られてくる。そのデータをコンピュータで画像処理して見えるようにする。それによって、表面温度分布や植生分布、雲の動きなど様々な姿が見えてくる。実は、地表から数メートル下の砂に埋まっている物までもわかる。

<宇宙から発見したエジプトの遺跡「トゥームチャペル」>
 エジプトでは、ナイル河に沿って約80基のピラミッドが確認されている。未発見のピラミッドもまだ10基前後あるといわれ、調査が続けられている。
 ギザのピラミッドをはじめ、大型のピラミッドが作られたのは古代エジプト3000年の歴史のうち古王国第三王朝からの約1100年間、場所もギザの南のナイルの西岸に限られているという。
 われわれも2年ほど前から未知のピラミッド探しを早稲田大学の吉村作治教授と共同で始めた。
 エジプトは長く文明が栄えた。ナイル河の源流は熱帯雨林にあり、王国を支えたのもナイル河だった。特に毎年夏に起きるナイル河の氾濫は土地を豊かにし、王国の経済力を支えていた。そして氾濫水位が低下すると経済も低下した。
 そこで、人工衛星に搭載した光学センサーとレーダーによってナイル河の洪水時の地形パターンと基盤岩を調査した。
 古代エジプトでは、ピラミッドなどの建設地はナイル河が氾濫しても水没しない丘陵地が選ばれ、さらに建造物の重量に耐えられる堅い岩盤に造られた。坂田先生は、これを人工衛星の眼で探したのである。
 その結果、有力視されたのは実は32ヶ所もあった。しかしそのほとんどはすでに諸外国が発掘権を持っていた。そこで、3ヶ所に絞って地上調査をして最終的にギザの南20キロ程のところのダハシュールが選ばれた。そこを選んだ理由は衛星画像に地中の人工構造物のものとみられる反応が映っていたから。それから最近まで軍事基地に近くて、誰も立ち入れなかったことだった。
 そして昨年3月、早稲田大学の地上調査隊は、日干しレンガの建造物跡を発見した。幅約20メートル、奥行約50メートルのこの建造物は3200年前から3300年前の新王国時代の未知の「トゥームチャペル」と推定された。「トゥームチャペル」とは神殿型貴族墓で、小型のピラミッドを持っているものである。
 今年2月には再度の発掘調査で多くの副葬品と小型ピラミッドの存在を証明する石「キャップストーン」が発見された。

<北シリアのパルミラ遺跡の場合>
 エジプトだけでなく、人工衛星の眼がもっと力を発揮するのはシルクロードなど。シルクロードを調査する場合、現在では痕跡も失われつつあり、全長1万キロ以上もある。通過国も多く調査は困難を極める。これを調査するのは人工衛星によるリモートセンシングが最も効率がいい。
 実際にシルクロードを調査して、一昨年シリアのパルミラ遺跡の発掘を行った。パルミラはシルクロードの中心都市だった。この遺跡には、神殿、取引所、劇場、浴場などがあった。人工衛星による調査で遺跡の南側にかつて塩湖があり、雨期には拡がり、また元に戻る。つまりこの砂漠の中の隊商都市は、ときどき降る雨が地下に吸い込まれた水や、地下の水脈によって成り立っていたのである。自然環境の変化で、やがて水の供給がなくなり、ここもやはり衰退していった。

<宇宙考古学は人類の未来学>
 おわかりのように、宇宙から調べると古環境が判ってくる。そして、過去の文明が古環境との関わりの中でいかにして栄え、いかにして衰退していったかが判ってくる。
 実は、「宇宙考古学」でやりたいことはそれ。古環境を調べることによって、人類がこれからどんな文明を創っていかなければいけないかが判ってくる。古環境がわかると未来の歴史が予想できるのである。
 「宇宙考古学」とは、実は地球の未来を観るための学問なのである。

 最後に「もっと埋もれた文明を探して、かつての地球環境を調べたい」とおっしゃる坂田先生に「親子で学ぶサイエンススクール」についてどう思うかをうかがった。

 「親子で学ぶサイエンススクール」を行うことは、われわれ大人が未来に対する誓いを、子どもたちにたてることだと思う。
 「親子で学ぶサイエンススクール」のような試みはたくさんのところが行っている。その試み自体はよいと思う。ただ、それぞれの試みがもっと個性を持つべきである。そして、未来の人類世界を考えるという姿勢を忘れないでほしい。


「南方熊楠に学ぶ(その2)」
 …吉川公二


南方熊楠
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 南方熊楠を学ぶのではなく、南方熊楠に学ぶのは、それが大切なことというだけでなく、たいへん楽しいことでもある。
 例えば、慶応三(一八六七)年生まれの熊楠は、一九六〇年生まれの私よりも一世紀を隔てて七歳年下の存在と考えてみると考察も一層楽しくなる。同じ世紀末を七歳年下の南方熊楠はどう生きたか、と考えるだけでも非常に面白いテーマが幾つも出てくるのである。或いは熊楠の満年齢が明治の元号年と合致するので、「明治十九年」と言えば彼が十九歳になる年であるという事が即座にわかるのも面白い。ちなみに彼は旧暦の四月十五日生まれである。
 また、幸いなことに私達は熊楠の日記を簡単に読むことが出来る。
『南方熊楠日記』(八坂書房・刊)は現在第四巻まで刊行されていて、一八八五年から一九一三年までの日記が活字化されている。紛失されていた一八九六年の日記もその後松居竜五氏らによる南方邸の調査時に発見され、中瀬喜陽氏が学術雑誌『くちくまの』にその抄録を掲載された。私も件の日記帖を南方邸で拝見させて戴いた。
 『南方熊楠日記』はほぼ原文に忠実に活字化されており、その史料的価値は高く、編集作業をされた長谷川興蔵氏(故人・第一回南方熊楠賞受賞)の仕事に改めて敬意を表するものである。
 『南方熊楠日記』を第一巻から読み進む方法もあるが、私の場合は何か自分自身の興味の対象や自分の生きる時代に関連づけてアトランダムに開いてゆく様にしている。
 例えば、今から丁度百年前の年を重点的に読んでみたり、百年前の同じ日をあたってみるのも面白い方法である。
 ちなみに丁度百年前の一八九七(明治三十)年、満三十歳となる熊楠は、英国(ロンドン)に居る。(帰国は一九〇〇年)その年は、中国の孫文に会い(三月)、戦艦「富士」に招待され(四月)、紀州候世子の徳川頼倫に会い(五月)、後に英国博物館(British Museum)を去ることの遠因となる殴打事件を起こし(十一月)たりしている。
 丁度百年前の「一八九七年四月二十五日」の日記を見る。「朝十一時過加藤氏来る。共に細井氏宅に之く。田之助氏夫妻、昨夜深更迄大家の家にて話し、今日妻は頭痛にて出来らず。細井氏、昼飯及夕飯ふれまはる。夕、ハーヴヰーといふ人来る。若き学生様の人、予と日本の事色々とはなす。十一時前、加藤氏とつれ出、氏は、オクスブリヂの方に別れ去る。予は歩してかえれば十一時半なり」(『南方熊楠日記』第二巻十五頁、原文かなは片仮名)
 加藤氏というのは、当時在ロンドン英国公使の加藤高明氏の事と思われる。一八九五年あたりから頻繁に会っているこの加藤氏は後の護憲三派内閣の首相である。【つづく】

参考図書『南方熊楠日記』第二巻 八坂書房
    『南方熊楠を知る事典』 講談社現代新書

「サイエンススクール ニュース・ライブラリー」
……藤井ゆずる

 

<火星雑学ノート 人類は赤い星をめざす--火星ミッション最前線>
 中村浩美著 ダイヤモンド社・本体価格1800円

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 古来日本では「火星」のことを何と呼んでいたかご存知でしょうか。『日本書紀』や『続日本紀』にその名が記されているそうです。などと偉そうに書いていますが、実は私もこの『火星雑学ノート』で知ったばかりです。
 さて、今年前半に宇宙関係の最大の話題といえば、やはり「火星」のことでしょう。今年の米独立記念日に合わせて火星に到達した米火星探査機マーズ・パスファインダーには、エアバッグを使った画期的な着陸方法に驚かされました。それ以上に、南極で見つかった火星起源の隕石に生命の痕跡を発見したという昨年のニュースのあとで見る火星の大地の映像には、21年前のバイキングの時とはまた異なった感慨がありました。今年から本格的に再開された火星探査の今後には興味が尽きません。今回お薦めの『火星雑学ノート』には今後の火星ミッションの詳しい内容や、これまでの調査でわかった火星のことがコンパクトにまとめられているほか、古代から人類は火星をどう眺め、火星にどのようなイメージを重ねてきたのかが概観され、これ一冊あれば火星に関する基礎的な知識は網羅されています。来年には日本初の火星探査機も打ち上げられ、ますます身近になるであろうお隣の惑星について、この『火星雑学ノート』でその知識を整理して得ておかれることをお薦めします。
 さて、最初に書いた火星の古名は、『火星雑学ノート』の126ページに書かれていますので、ご自身でお確かめください。

「毛利ツトムの今一番旬なCD」
 マイク・オールドフィールド

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 最近巷では『火星』の話題で盛り上がっていますが、今回の“旬なCD”は題して『火星に持って行きたいこの一枚』。
 SF作家に『アーサー・C・クラーク』という有名人がいますが、今回紹介するCDはこの人が書いた本『遥かなる地球の歌』が元になっているものです。マイク・オールドフィールドというミュージシャンが原作に影響を受け、'94年にCD化したものです(現在CD-ROMも作成中とか?!)が、全体のサウンドは彼特有のスコットランド民謡風あり、ゴレゴリアン・チャント風あり、イルカの鳴き声あり、ピグミー族の歌あり、エクソシストのテーマ曲風(この人の代表曲!?)ありと様々です。
 私はこのCDを通して聞く時に思うのですが、アルバム全体が地球の生命力を音で表している様な気がします。それはこの星に存在するものが音として在るだけではなく、原作者とミュージシャンが伝えたい事がそこに在るような気がします。残念ながら私はまだ原作を読んでいないのですが、地球を離れ宇宙空間もしくは火星の様な別の星に行った時始めて解る地球の素晴らしさ、そして脆さを歌っている様な気がします。私にはこのアルバムが讃歌にも、レクイエムにも聞こえます。
 火星はいつか地球の様な星になるのでしょうか?成長して?それとも地球人の手によって変わって行くのでしょうか?
 もし火星に旅行又は移住する事になった時にはこのCDを持って行ったらどうでしょう?!
 


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