季刊紙「Science School News 第4号」


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「星達の世界との遭遇・人類は宇宙をめざす(前編)」
 土井隆雄宇宙飛行士、日本人初のEVA(船外活動)
……中村浩美

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EVAクレーンを操作する土井隆雄宇宙飛行士(右)、
左はスコット宇宙飛行士(写真提供:NASDA)

2度のEVA(船外活動)を成功させた土井隆雄宇宙飛行士
(写真提供:NASDA)
 スペースシャトルの打ち上げは何度観ても感動的なものだ。しかも、日本人宇宙飛行士が搭乗している場合には感激も感慨も倍加する。今回僕は、発射台から10H地点のインダストリアル・エリアで茨城県つくば市からやってきた「土井隆雄さんを励ます会」のメンバーと一緒に打ち上げを見守った。この観察地点は、プレスサイト(発射台から5H地点)に比べると条件は悪いが、今回はプレスとしてではなく一市民として日本人宇宙飛行士の出発を応援し、感動を共有したいと思ったのだった。
 1997年11月19日14時46分(米時間EST)、SRB(個体ロケット・ブースター)から吹き出す炎としばらくして伝わってくる地を震わせ、体に響く発射音とともに、土井さんは宇宙へ旅立った。
 フライト6日目の24日(米時間CST)、土井さんが重要なミッションに挑戦する日が来た。それは、日本の有人宇宙開発にとっても、エポック・メーキングな日となった。日本人初のEVA(船外活動)、いわゆる宇宙遊泳の実施だ。そのミッションは、当初予定されていなかったエキストラの作業からはじまった。太陽観測衛星「スパルタン」の宇宙空間での回収である。
 「スパルタン」は、シャトルから放出されたものの調整に失敗し、回転しながら放浪していた。これを宇宙飛行士がEVAしながら、手で捕獲しようというのだ。オービターの高度をゆっくりと上げながら衛星に接近し、土井・スコット両MS(ミッション・スペシャリスト)が手でこれをキャッチし、オービター(スペースシャトルの本体)のカーゴベイ(貨物室)の所定の位置に格納する。この事態を想定し、地上の水槽で訓練を行っていたとはいうものの、土井さんにとっては初めてのEVAでの、初めてのしかも予定外の本番だった。
 接近してくる衛星(正確にはオービターのほうが近づいていったのだが)を見上げながら、土井さんは地球、宇宙、そして自分自身の存在に思いを馳せたという。
衛星「スパルタン」の向こうには、星たちの世界、茫漠たる宇宙空間が広がっていたのだ。頭の中のほとんどを占めていたのは「どうやって衛星を捕まえてやろうか」ということだっただろうが、オービターの外で宇宙空間に身を晒しながら星たちを見上げるという、貴重な時間を土井さんは経験した。
 今回の土井さんのフライトのテーマは「星たちの世界との遭遇」だったが、それはまさに遭遇の機会だった。フライト中の宇宙飛行士は忙しい。思索に使える時間など、ほとんどないのが普通だ。とくにEVAでは、秒刻みで作業スケジュールが決められている。しかし、衛星の接近をひたすら待ち続けるこの時間帯は、ほかになんの作業もない僥倖(ぎょうこう)の時間帯でもあったわけで、土井さんの脳裏にはさまざまな想いが去来したことだろう。ぜひそのあたりのことを、直接聞いてみたいものだ。
 作業は2時間におよんだが、捕獲は見事に成功した。しかしカーゴベイに格納するのが難作業で、ロボットアームまで動員しての大作業となった。あらためて宇宙空間での作業の大変さを、上空280Hの彼方から送られてくるNASAテレビの映像を見守りながら感じたものだった。
 このエキストラの作業を終えた、土井、スコット両MSは、STS・87ミッションにおけるEVAの本来の目的だったクレーンを使った作業に移行した。休憩時間はなし、食事もなしだった。このEVAミッションは、国際宇宙ステーション(ISS)の組立作業において、重要な要素となるクレーン操作の実証試験である。
 このEVAクレーンは、ISSの軌道上交換ユニット(ORU)運搬用に開発されたもので、今回が初フライト初の検証試験だった。ISSの宇宙空間における組立は、98年から開始されることになっている。作業は、バッテリ模擬ユニットを用いた、大型ORUの交換シミュレーションだった。
 土井さんは、高さ1・8Eで5・3Eまで伸縮可能なブームを備えたEVAクレーンの操作を担当した。ブームを回転させたりしながら、重量物運搬におけるクレーンの機能、性能を検証したのだ。土井さんは、沈着に確実にこの任務を果たした。
 EVAは計7時間におよんだ。テザー(いわゆる命綱)1本でオービターとつながれただけの、いわゆる宇宙遊泳を、土井さんは連続して7時間やり遂げたのだ。日本人として初めての快挙である。シャトルのフライトにおいては、初のアメリカ国籍以外の宇宙飛行士によるEVAでもあった。作業を終え、エアロックに戻る土井さんの周りを、テザーで宇宙服につながれた工具類がフワフワと漂っていた。その中に画用紙ほどの大きさのボードがあった。そこには手書きの日本語で、「宇宙をめざせ」と書かれていた。
 年が明けた1月30日、土井さんを始めSTS-87のクルー・関係者が出席して開かれた報告会の司会をした。その時に土井さんが書いてくれたのも、やはりその言葉、「宇宙をめざせ」だった。(以下次号)

「火星(マルス)通信4」
 マーズ・パスファインダーの火星探査〜3
……中村浩美

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 MPF(マーズ・パスファインダー)による火星表面の探査は、当初の予定では、およそ1ヶ月で終了するはずだった。ランダーの寿命が1ヶ月、ローバーの「ソゥジャーナー」の寿命は、わずか1週間と想定されていたからだ。探査機の寿命はバッテリーの能力で決まる。零下80度Cまで下がる火星の夜に、機器を保温することができなくなれば、探査機は任務を終わらざるを得ない。バッテリーは再充電が可能ではあったが、それにも限界がある。MPFランダーのバッテリーは、最低でも30火星日はもつように設計されていた。
 それが現実には、倍以上の83火星日も稼働することができた。MPFから最後の科学データを受信したのは、1997年9月27日のことだった。その結果、ランダーが撮った1万6千の画像、ソゥジャーナーが撮った5百の画像、そして850万項目にのぼる風、気圧、気温など気象学上のデータが、カール・セーガン記念ステーションと命名されたMPFランダーから、地球へ送信された。さらにソゥジャーナー搭載のAPXS(アルファ・プロトンX線分光計)による、火星表面の岩石と地勢に関する20の研究項目データも送信されてきた。火星表面のMPFはすでに沈黙したけれど、地球ではもたらされた新しい火星情報の解析が始まっている。火星の謎解明は始まったばかりなのだ。
 ランダーの送受信能力の喪失にともない、最終的に11月4日MPFの任務終了が発表された。しかしランダーの寿命は尽きたが、ソゥジャーナー・ローバーはまだ運用可能と考えられる。JPLではソゥジャーナーの現在位置を、正確には把握していない。しかしソゥジャーナーは、元の位置に戻るようあらかじめプログラムされている。ランダーからの指令が6日間途絶えると、自らの判断で移動を開始してランダー周辺に戻り、ランダーから3メートル離れて、その周りを周回する。ソーラーパワーで電力が供給される限り、ソゥジャーナーはこの行動を続けるのだ。すでにランダーには、ソゥジャーナーに指令を与える能力も、データを受信し地球へ送信する能力も尽きている。しかしソゥジャーナーは昨年10月4日頃に、プログラムに従って自ら動き始め、おそらく今頃はランダーの周りを回りながら、来るはずのない指令を待ち続けているに違いない。その、けなげな姿を想像してみよう。

ランダーの撮像装置が撮った
アレス峡谷の表面


「子どもたちに贈る日本の音色」
 日本音楽集団、第150回定期演奏会
 日本の伝統楽器による現代の私たちの音楽を聴く。

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 1月29日東京千駄ヶ谷の津田ホールで日本音楽集団の第150回定期演奏会が開かれた。150回という回数もさることながら、今回はそのプログラムが目を引いた。プログラムは4演目。まず1曲目は「伝統楽器紹介のための」と但し書きがついた『日本の音たち』。この曲は尺八、三味線、箏(いわゆる琴)、二十絃箏(じつはふつうは絃が21本ある)、小鼓(こつづみ)、大皷(おおかわ)、笛、琵琶などの日本の楽器を学校公演などで紹介するための曲。短くアレンジした古典曲、現代曲の中でいろいろな楽器の音色が楽しめた。次は新美南吉原作の「ごんぎつね〜青少年のための〜」。男性の語りと尺八、三味線、箏、(和洋)打楽器などの演奏で綴った「きつねのごんと兵十の物語」。続いて『子供たちにも(日本の伝統楽器と日本の音楽が)親しまれる様な判り易い曲を』という要望に応えてできたという「日本古謡に基づく三つの協奏的変容〈大漁祝歌・子守唄・八木節〉」の初演。最後の曲はこの集団の創立メンバーでもある長沢勝俊氏の「子供のための組曲」。この曲も邦楽器の合奏曲で1964年の第1回定期演奏会で発表された名曲。今回の演奏会のプログラムは、すべて『子供たち(青少年)のための』ものであった。日本音楽集団の(超)一流の演奏家たちは、いつも洋楽、邦楽といったジャンルを感じさせない。そのうえ今回の演奏会ではわかりやすさも加わった。
 この集団は、1964年に「『私たちの伝統楽器で現代に生きる私たちの音楽を創ろう』と流派を超えて結成された」という。海外での評価も高く、現代の私たちのためにどんな音楽を聴かせてくれるのか、これからも日本音楽集団の活動に注目したい。
 日本音楽集団:1964年4月、それまでの伝統的な邦楽の一線を越え、現代のスピード感、力強さをバネに誰にでも親しめる新しい邦楽のあり方を求めて誕生した音楽集団。年5回の定期演奏会や地方公演などの国内の公演だけでなく、世界26ヶ国での海外公演の実績を持ち、外国での評価も高い。これまでに、アイザック・スターン、ヨー・ヨー・マ、ゲヴァントハウス・オーケストラなどとも共演。1970年芸術祭大賞。71年芸術祭優秀賞、78年音楽之友社賞、88年松尾芸能特別賞、90年モービル音楽賞など受賞多数。
【上條制作室では、日本音楽集団の演奏を皆さんにご紹介しようと考えています。代表である田村拓男氏と日本有数の尺八奏者である三橋貴風氏の協力もいただいて、各地での演奏会を様々な形で実現できたらと思っています。お問い合せは03−3445−0271】

「南方熊楠に学ぶ (その4)」
 …吉川公二


南方熊楠
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●南方熊楠に学ぶ場合の具体的な方法としては、やはり関係の書物を繙く事が大切であり、様々な先達の研究成果を知る無比の方法でもある。また、南紀・白浜には「南方熊楠記念館」があり、生の資料をかいま見る事が出来、貴重である。
●終の住まいとなった南紀・田辺市には「南方熊楠邸保存研究会」が発足していて、「熊楠ワークス」という南方熊楠のファンクラブ的なものの組織化も始動した。将来的には南方熊楠研究センター的なものの必要性が望まれている様である。
●和歌山県では近く「熊野体験博覧会」が開催されようとしていたり、南方熊楠も遊び、渉猟闊歩した那智の森などが再び注目をされはじめている。また自然と人間との共存をテーマにしたアニメ映画「もののけ姫」の空前のブームも南方熊楠の思想とも結びついてくる筈である。
●南方熊楠に学ぶ為のテキストとして最良のものはやはり『南方熊楠全集』(平凡社)でありましょう。全十二冊(全十巻+別巻二巻)の中には、熊楠の思考が良く判る様に整理されてまとめてある。これは一九五二年の乾元社(けんげんしゃ)版の全集を元にして再編集されてあり、その後新資料が続々と発見されているので、狭義では全集とは言えない様だ。
●また前稿でも紹介した、『南方熊楠日記』(八坂書房)も貴重な資料。日記はまだ生涯分が刊行され切っていないので、続編の編集が待たれている。
●日本民俗学を形作った柳田國男との邂逅から袂別までの約十五年の間には多くの書簡でのやりとりが残されている。『柳田國男 南方熊楠 往復書簡集』(平凡社)がそれで、現在では「平凡社ライブラリー」の中に文庫化(上下二巻)されており、入手も楽である。
●南方熊楠に学び、自身の問題として考えてゆくときに欠かせないのは、鶴見和子の著した『南方熊楠』(講談社学術文庫)であろう。一九七八年に『日本民俗文化大系』の第四巻として書かれたものから成っている。
●特に南方熊楠が那智山中で高野山の土宜法竜師に宛てた書簡の中に現した「小生の曼陀羅」の図に象徴される思想の解読は、それまでには誰もが成し得無かった仕事である。この所謂「南方曼陀羅」と呼ばれる概念は南方熊楠の思想のひとつの象徴であり、鶴見和子自身も後に『南方曼陀羅論』という書名の本を単独で上梓した。(一九九二年、八坂書房)
●また新書版でありながら大変に参考になる本もある。『南方熊楠を知る事典』(講談社現代新書)は松居竜五、月川和雄、中瀬喜陽、桐本東太、の各氏が執筆・編集し、他の執筆陣も多彩である。
●大きくは、「南方熊楠を知るためぼキーワード集」、「南方熊楠をめぐる人名目録」、「南方熊楠主要著作解題」の三部構成となっている。六百頁を越すが、読みごたえがあり、絶対に損をしない本である、と思う。
●映画監督山本政志の、撮影途中のまま暗礁に乗り上げたままになっている映画「熊楠」は現在も完成の目処がついていない。しかし、「熊楠」の心は経済原理に関わり無くそこに生き生きとしている。山本監督もいづれ完成させて呉れるものと信じている。
●人はよく「人間ひとりでは何もできない」と言う。しかし、南方熊楠に学び始めると、それが嘘で、というか正確では無い事に気がつく。つまり南方熊楠はほとんどひとりで何でも実践したし、近しい人の協力も得た。「ひとりではできないこともあるが、やろうと思えば大概のことはでき」る、ものが人間なのではないだろうか。
●この情報化社会の渦の中で、自分に本当に必要な情報とは何なのだろうか。南方熊楠はながれゆくほとんどの情報を必要とせず、己に必要な本当に見当としているものだけを自身のものとし、編集し、発信をし続けた。
●今に生きる我々には、情報の取捨選択の意思、特に捨てる勇気、過多なる情報に惑わされない強靱な精神力というものを南方熊楠に学ばなければならない。

「サイエンススクール ニュース・ライブラリー」
…藤井ゆずる
<宇宙の不思議がわかる本>
 

菊山紀彦・本田成親著
三笠書房 知的生きかた文庫 本体価格495円

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 子どもの頃から物を収集して整理することが苦手で、昆虫採集や切手収集などもすぐ挫折していたものです。要するに無精でナマケモノなのですが、この癖は現在も変わらず、情報をこまめに集めて整理することがなかなか出来ません。例えば、「宇宙」や「遺伝子」「古代史」などの分野では、毎日のように新しい発見が新聞や雑誌を賑わせています。私も切り抜きを試みるのですが、あまり役に立っているとは言えません。結局は誰かが一冊の本にまとめてくれるのを読むのが楽なので、書店でそういう本を探すのが日課のようになっています。
 さて、今回ご紹介する「宇宙の不思議がわかる本」もそうした本のひとつです。正直なところ、最初書店でこのタイトルを見たとき、なんだかいかがわしいタイトルだナァ、と思ったのですが、著者名に宇宙開発事業団の菊山紀彦さんの名前があるので手に取ってみる気になりました。菊山さんは、種子島宇宙センター所長としてH-ロケットを手掛けられた後、筑波宇宙センター所長も務められた方ですが、このサイエンススクールニュースの3号で山田ふしぎさんが紹介していたように、大変にお話の上手な方として有名です。この本も、最新の宇宙科学の成果がわかりやすく書かれています。太陽系の各惑星探査の結果をはじめ、コペルニクスからアインシュタインまでの近代宇宙科学の歩みから、ホーキング博士の宇宙モデル論、ハッブル望遠鏡の成果など難しくなりがちの内容がわかりやすくコンパクトにまとめられています。
 子どもたちに「宇宙」の話しをしようとするとき一番頭を悩ませるところは、どうしたらわかりやすく伝えられるかということです。他のこととは異なり、体験したり、目の前で実験して説明することが困難であり、いきおい比喩的表現や何かに置き換えての表現が多くなります。その時大切なことは、的確であること、明解であることです。この「宇宙の不思議がわかる本」ではそうした表現の面でも参考になりました。手軽な価格の文庫本ですので、通勤・通学の時にでもお薦めです。

「毛利ツトムの今一番旬なCD」
 ブルース・スプリングスティーン

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 今回はラブ・ソングを1曲紹介します。 ブルース・スプリングスティーンの曲で、タイトルは『シークレット・ガーデン』。映画の挿入歌として使用された曲で、好きな女性に対して自分の気持ちを囁くように歌っています。
 彼は張り上げる歌のイメージが強いかもしれませんが、彼のバラードは他にも良い曲が沢山あります。 しかし今回この曲を選んだ理由は安易で、というのは先日ニューヨークへ行って来たのですが、なんと行った先で彼を見る(本当に見るだけ!)事が出来たのです。彼はプロモーション・ビデオか何かの収録でその場に来たのですが、その姿は以前(東京のコンサートで観た時)より少し太り気味で、まるでボディービルダーの様な上半身をしていました。
 そんな彼はあまりスターっぽく無く、私の目の前を通り過ぎ、トイレへと行きました。そこで私は後を付けて、彼と同じトイレへ…。さすがにそこまではしませんでしたが、今目の前に居るのが本物だと思うと一言「ワァーオ!」と声を出してしまいました。
 スタジオに入った彼はギターを抱え、ハーモニカをくわえ渋いバラードを歌い出しました。その曲が今回紹介する曲、なら良いのですが聞いた事のない曲でしたので、今回は私の好きな曲を皆さんご紹介します。是非好きな人に聞かせてあげて下さい。 それでは、又。
 


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